@article{oai:shukutoku.repo.nii.ac.jp:00001001, author = {山田, 修平 and Yamada, Shuhei}, journal = {淑徳大学短期大学部研究紀要, Shukutoku University Junior College bulletin}, month = {Feb}, note = {「表現を聴く」とは、保育者や学生が、幼児の表現した作品(描画、立体)に込められた想いやエピソードを聴き、作品を理解、共有することである。本稿では、作品そのもので子どもの表出の全てを理解できることができると捉えず、作者から想いや説明を聴くことで初めて作品、作者(子ども)を理解することにつながると結論付ける。絵が上手に描けることが望ましいと考える学生、保護者は多い。同様の考えを持つ現職の保育者もいる。そして上手という基準は写真のように情報が伝わるかどうか?で語られる場合が多い。一方、なぜ写真のように描けることが好ましいのか?生きる上でどんな利点があるのか?について明確な答えを持つ学生、保育者は少ない。絵は写真のように描けることが良いと漠然と考え、子どもには写実的な表現を求めてしまう。保育の現場で、子どもが表現として表出した部分は理解、共感されず、能力的にも動機としても子どもが望まない表現を強いられてしまう場面(模倣的様式の指導)が見受けられる。かつ、保育者や学生は良かれと具体的な描き方を声がけし、子どもは違和感を言葉にせずに従うという場面も見られる。実際に、このようなエピソードを持ち、表現にネガティブな感情を持っている学生もいる。あるいは実習先で表現の一方的な指導に違和感を感じつつも正当化しようとする学生がいる。現職の保育者からは模倣的様式の指導に対し疑問を持つが、代案を出せずに妥協しているケースがヒアリングから明らかになった。本稿では、表現を聴き、表現が子どもの想いを表出できる選択肢となる活動を計画できるよう、模倣的様式の指導ではなく、変容的様式をとった表現の指導法を実践報告する。目隠しをして視覚を閉ざし、視覚以外の五感で対象に触れ、目隠しのまま描くという実践を通じて、保育者養成課程の学生、あるいは現職の保育者が、表現の意義と可能性を再確認し、自己の体験を表現活動の保育計画にリンクさせていくことがねらいである。検証では実践後のレポートや指導案から一定の成果を見た。一方、特に今回の学びが、工作など立体表現へ接続しないなど、表現領域全てに現状、汎用しない課題も見えた。, 12, 論文}, pages = {109--121}, title = {幼児の表現を聴く : 実践を通じた指導法と鑑賞について}, volume = {56}, year = {2017}, yomi = {ヤマダ, シュウヘイ} }