@article{oai:shukutoku.repo.nii.ac.jp:00001922, author = {魚谷, 雅広}, journal = {総合福祉研究, Social welfare research bulletin}, month = {Mar}, note = {「見たいもの(聞きたいもの)だけが見える(聞こえる)」,または「見たくないもの(聞きたくないもの)は見えない(聞こえない)」ゆえに,ある事柄・事象の存在が無視された結果,その存在が感じられず,またそのための思考不能によって,これまで甚大な被害が生じ,継続されてきた.重大な事件や事故があったとき,それに関して関心を持ち,そして倫理的行動へといたるには,まずそうした事象を私たちが認知する必要があるのだが,そうした事象が曲解されて伝達されたり,あるいは思考の外部へと追いやられたりと,結果として問題が解決しないこともしばしばである. 本稿は以上のことを踏まえ,まずは「どのようにふるまうか」という倫理的行動の前提となる,事象の存在を認識するうえでの必要な情報の「伝達」という現象に着目し,ハイデガーの『存在と時間』(1927年)の議論を手がかりにその存在論的構造を見ていく.そして「伝達」のうちにある「公共的な」責任回避構造から,「見たくないものは見ない」ことに関する問題を検討する., 8, 論文}, pages = {91--102}, title = {「見たくないものは見ない」ことによる責任回避の構造について}, volume = {24}, year = {2020}, yomi = {ウオタニ, マサヒロ} }