@article{oai:shukutoku.repo.nii.ac.jp:00001961, author = {須田, 光輝 and Suda, Kouki}, journal = {淑徳大学人文学部研究論集}, month = {Mar}, note = {本論では、天保期の下肥値下げ運動に関して、杉並区立郷土博物館に寄託されている武蔵国多東郡馬橋村(現、東京都杉並区)の「御用留」(大谷家所蔵文書)を利用して、江戸西郊における情報伝達経路や運動の発生と展開について分析を加えた。天保十四(一八四三)年二月朔日に武蔵・下総国八ヶ所領二八三ヶ村の惣代から勘定奉行へ、下肥の高値を訴え、値段の引き下げを求めた運動が発生した。寛政期に起きた下肥値下げ運動に倣って行われたものである。本論ではこうした現象の情報伝達などに注目し、東葛西領から野方領にある馬橋村へ伝わったのは約二ヶ月要したことが判明した。天保十四年二月に願書が提出されてから、運動が活発になり、通達の範囲が拡大したことが考えられる。馬橋村周辺では、中野村を中心に寄合が行われており、地域社会の実状をみることができた。以上のことから、下肥値下げ運動の波及がわかり、江戸市中を巻き込んだ運動だったと言える。村間における情報の伝達経路をみることにより、江戸西郊における下肥値下げ運動の展開の一側面を明らかにした。, 8, 論文}, pages = {118--96}, title = {江戸時代後期武蔵国における下肥値下げ運動 : 武蔵国多摩郡馬橋村「御用留」の分析を中心に}, volume = {6}, year = {2021}, yomi = {スダ, コウキ} }